『永い夜』 by ミシェル・レミュー
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読んだ/観た日:2020/05/25 - 2020/05/25
★小説/絵本/映画/マンガ/ドラマ/アニメ総合:3.8
ストーリー:3.5
エンディング:3.8
登場人物/演技:3.7
絵/文章/映像/音楽:4.0
世界観/独創性:3.8
おしゃれさ/エンタメ性:3.3
深さ/哲学性:3.9
他の人におすすめ:3.7
あらすじ/概要
だれか、わたしを見てくれている?愛されなくなるのが、不安……。とりのこされるのが、こわい。人生って最初から決められているもの?死ぬときがきたら、自分でわかるのかな……。
’97ボローニャ児童図書展フィクション青少年部門賞受賞。’96ドイツで最も美しい本賞受賞。
厚生省中央児童福祉審議会推薦文化財/日本図書館協会選定図書
読書/鑑賞中メモ
「もしも人間が野菜みたいに土から生えていたら…。」
「わたしはだれ?」「わたしって人間は、ほんとに世界でひとりきりなの?」
あの頃の不安。あの時の夜は本当に長かった。いや、永かった。意識の向こうがわ、自分が知っている世界の向こう側に、何かすごいものがあるのだという漫然とした期待があった。こんなちっぽけな世界の外側には、もっともっとすごいものがあるのだと。だからこそもっともっと自分が小さいものに感じた。
自我を自覚した瞬間に取り替え可能な個体で有ることに気づく。それは個体という概念が抽象化の作業だから。
「体を交換できるとしたら、だれかわたしのを選んでくれる?」
「なにかを決めるとき、わたしはいつも正しいほうを選べる?それがまちがいじゃないってどうすればわかるの?」
解答を与えない
「ときおりチラリと、自分の頭の中身をのぞけてしまえそうな気がする」
いろんなリスペクトが散りばめられとんな…ピカソ、シャガール?、ドン・キホーテ、トゥルーマン・ショー…もっとありそうやけどわからない
「死ぬって、痛い?」「死がわたしを迎えにきても、きっと上手に隠れてみせる」
「おなかすいた!」
感想/考察
あの頃の夜は得体が知れなかったし、絶対今より長かった。僕の家は睡眠に厳しくて、小学生までは必ず20時に寝なきゃいけなかったからなおさら。睡眠時間自体は今も実はそんなに変わらないのだけど…笑
世界から自我というものを切り離したときに、その自我の範囲はおそらく日中に限られていた。自我=生=日中=太陽=白=善というような切り離し方をしたはずで、その反動としての他者=死=夜=月=黒=悪のような象徴としての夜があったのかもしれない。それから段々と夜を知っていく中で、人間は昼と夜の統合を迫られる。
昼は限られていて、僕の生も限られていて、僕自身も限られていてちっぽけで。逆に夜は底が知れず、永遠の入り口だった。
言語化の過程はまさに抽象化である。現代の人間が言語を介して理解をしている以上、抽象化からは逃れられず、自分という抽象化をした瞬間に、複数の自分の中で代替可能な自分というものに気づいてしまう。自分がちっぽけでありふれていて代替可能であるという感覚は、自分という定義そのものから発生している。自分がオンリーワンであることの理解は、言語によってなされることは難しい。これは言語的な理解ではなく、モノ自体への理解に他ならないからだ。
モノ自体の理解は、言語によってはなされず、体験によってなされる。いくら本を読んでも、モノ自体には近づけない。
解答を与えないスタイルに好感が持てたし、「おなかすいた!」が好きだった笑